Japanese Biography

■SKI OAKENFULL Profile
 スキー・オークンフル=本名ドミニク・オークンフル。熱心なクラブ・ミューであれば、きっと耳にしたことのあるはずの名前である。なぜなら彼は、ジャイルス・ピーターソンの、あのTalkin’ Loudレーベルで以前から活躍していた人物だからだ。
 ジャイルスに声を掛けられたのは、実際にはスキーがまだ学生の時分だったらしい。1990年代初頭には、同レーベルのアーティスト=K-クリエイティヴのアルバム『Q.E.D. (Question Everything Done)』においてソング・ライティングとプロデュースを共同で行い、ツアーではキーボーディストとしてヨーロッパ中を回り、ここ日本にも訪れている。このK-クリエイティヴは、ガリアーノ、インコグニート、ヤング・ディサイプルズ、オマーなどと並び、初期Talkin’ Loudを支えた重要アーティストの一つである。
その後はUKソウルの人気ユニットであったロウ・スタイラス(ヴォーカリストはドナ・ガーディアー)との仕事を経て、1994年には、Talkin’ Loudでインコグニートと並ぶ代表格アーティストであったガリアーノにキーボーディストとして参加。惜しくも彼らの最後のスタジオ・アルバムとなった 1996年発表の『4』では、ソング・ライティングとプロデュースにもその名を連ねた。
 元レーベルメイトとなるインコグニートが1999年に発表した『No Time Like The Future』で、初めてインコグニートのアルバムに関わる。続いてメイザ・リークの作品を手掛け、またパラ:ディゾ(インコグニートのジャン・ポール“ブルーイ”モーニックと、その息子DJヴェノムの二人を中心とするユニット)のメンバーとしても活躍した。そしてインコグニートの最新作『アドヴェンチャーズ・イン・ブラック・サンシャシン』(2004年)では、全収録曲の半数のソング・ライティングをブルーイと共に手掛けるほか、アレンジやプログラミング、キーボードもこなすなど、今やインコグニートの音楽にとって最も重要な存在の一人にもなっている。
 スキー自身の1stアルバムは、2000年にSonyからリリースされた『ライフ・チェンジズ』。前述ガリアーノのアール・ジンガー(別名ロブ・ギャラガー)や、そのほか数名のヴォーカリストをフィーチュアした同アルバムは、ハウス、ディスコ、エレクトロ、ジャズ、ソウル、ファンクなどの要素が絶妙にミックスそして調和され、最高のクラブ・アルバムとして高い評価を受けた。なお翌2001年にシングル・カットされた「ホウェア・ディド・ザ・ラヴ・ゴー?」はアルバム中唯一のブルーイとの共作曲、そしてラテン・ミュージック界では絶大な人気を誇るサルサ・シンガー、マーク・アンソニーをヴォーカリストに迎えていた。この曲は、今もなおクラブ・ミュージック界で高い人気を誇るフィル・アッシャー(レストレス・ソウル)のリミックスに加え、ハウス・ミュージック界の重鎮ロバート・オーエンスにもリミックスされ、当然のごとくクラブ・ヒットとなった。
 その前作より早5年。ここ数年でソング・ライター及びプロデューサーとしての位置を確立してきたスキー・オークンフルが、待望の2ndアルバム『ライジング・サン』を遂に発表する。本国UKではインコグニートのブルーイが主宰するレーベルRice Recordsからのリリースとなるが、実際の発売はここ日本が世界初となる。クレジットを見ると、ヴォーカリストには、元ガリアーノ、現トゥー・バンクス・オブ・フォーのアール・ジンガーとヴァレリー・エティエンヌ、現インコグニートのトニー・モムレル、そして音楽ファンやアーティスト連中の間で今最も熱い注目を受ける“デトロイトの奇才”アンプ・フィドラーら、豪華な面々が名を連ねている。そして何より...、今作のプロデュースに関してはスキー本人のみならず、インコグニートのブルーイとその息子DJヴェノムが加わった、計3名でアルバム全てを作り上げている点が特筆される。例えるならば、インコグニートの別ユニット=いわばクラブ系のサウンドを強調したインコグニート、とでも表現すれば良いであろうか。そのブルーイは同アルバムを、以下のように表現している。
「クラシック・オールド・スクール・ハウスから、ニュー・スクール・ソウルまで広く網羅する、アップリフティングなファンクトロニカだよ。」